ベドウィン

 
 
 
ベドウィンとは「町ではないところに住む人々」って意味だそうです。
アラビアの遊牧の民ですね。



高校生の頃、なってみたいとあこがれたのが
「アルムの山の偏屈おんじ」
「アラビア遊牧民」



まぁ、今も結構あこがれている。



ハイジのおじいさんの生活は凄くカッコイイと思うけど
街の中で一人で居れても、あの大自然の中では
私は暮らしていけないな。

以前、西荻窪から吉祥寺周辺で住むところを探していたとき
吉祥寺駅から徒歩25分くらいの物件を見に行って
建物の裏が林、隣は畑みたいなところで
まわりの静かさに「無理だ」と思ったことを思い出した。
(お風呂が離れみたいになってたし)



砂漠で生きる遊牧民にナゼあこがれるかと言うと
あの厳しい環境なら、生きれるか死ぬかがすぐ決まりそう、
なんて思っていたんですよね。他力本願?違うか。

でも単純に、本田勝一さんの「アラビア遊牧民」を読んで
ラクダの脇についていたダニの写真に衝撃を受けて
「無理だ」と思いました。
だって、血を吸って膨らむと直径(?)5、6センチなんですよ。(確か)
それがラクダの脇に、いつもぶら下がっているかと思うと…
その写真のページは二度と開かないようにクリップしてました。(へたれ)
生き死にがすぐ決まるとか、言ってる割にはダニごときで…
底の浅さが笑えます。



どっちにもなれないので、街の遊牧民を目指そうっと。
 
 
 
 
 
 
 
 
『他力本願』について
 
そもそも「他力」とは仏教の言葉で、他人の力という意味ですらありません。
「他力」とは「阿弥陀如来の力」のみを指します。また「本願」とは、本当の願い、
という意味で、今日の言葉で言えば約束ということです。

ですから「他力本願」とは「阿弥陀如来の力によってなされたお約束」ということであり、また他力本願のはたらきによって、強くたくましく生きていけることを指します。

しかし、今日では「他力本願」というと、他人を当てにして自己喪失や思考停止のように弱々しいイメージで使われています。これらは本来の意味を無視した正反対の用法なのです。


だそうです。
んんん。ちょっと私の脳では上手く簡単な言葉に直せない。
単純明快な言葉にできる方、いらっしゃいましたら教えてください。
よろしく。(^^) 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

この記事へのコメント

2011年09月01日 23:10
私は難しい解釈が出来ない頭なので、他力本願とは単純に「神頼み」です(笑)
仏様(ご先祖さま)には、感謝をしてもお願い事をしてはいけないそうなので。
「良い方に導いて!」ってよくします(^^)
ハイジの干草のベッドにあこがれて、もみ殻の上に寝転んでエライ目にあったっけ。。。
チクチクが繊維の中に入り込んで大変でした♪
2011年09月01日 23:50

seaglassさんの「他力本願」はご先祖さまに感謝して、良い方へと願うことなんですね。
↑上の意味だと、どう使うのかこの言葉の使い方が分からないんですよね。難しい…ま、使えなくても困らないと思うケド。
干草ともみ殻って結構遠いモノの感じがしますが…でも、干草も硬くて痛いらしいですよ。
ハイジではパンの上に溶けたチーズを乗っけて食べるのにあこがれました。今でもあれは食べたい。
 
2011年09月02日 17:18
なはは^^わかるなあw自虐しちゃうのもわかるしーw
自然との共和とか言うけど、本当の自然ってのは蚊だのハエだの毛虫だのヒルだのが当たり前にそこらじゅうにいて、ご飯を食べるのにも虫だらけ、寝る所にもヘビが出てきたり、クマだのイノシシが来る危険をもはらんでるものだもん。現代人が見て憧れるソレと実際のものは全く、ねえ^^;
雄大な自然の中で逞しく、日々生き死にと隣合わせで生活するのは憧憬に近いかも☆電気や水がストップしただけで大騒ぎしちゃう私には、絶対にムリですなーw憧れるけど、虫ダメダメだしね^^;w
人ではないモノに頼る、神さまとか仏様?、宗教に限らず自然を畏怖することからくるアミニズムも宗教かw実態のない、トレーサビリティのとりようのないものに頼ることを差すのであれば・・・

運任せ?ww
2011年09月02日 22:40

ありんこさん、日々自虐との戦いです。(^^;)
そうですね~美しい部分とか見たい部分しか、人は本当に見ないのかもしれません。しかし「ライフライン」とはよく言ったもんですね。今回の震災で思い知りました。
「他力本願」≒「運任せ」
う~んん。何となく分かる気はするけれど、やっぱり難しいな。
コメントありがとうございます。(^^)